つぶやき

「語りえぬもの」の抑圧

「語りえぬもの」を抑圧するという議論はしばしばなされてきた。たとえば、「語りえぬもの」としてのサバルタンを西欧言語が代弁・表象するという図式の暴力性を暴露したサイードの「オリエンタリズム」はその典型だ。しかし、ここでは「語りえぬもの」が我…

これが「正しい」戦争というものか!さあ、もう一度!(ボム)

マイケル・ウォルツァー(2008)『戦争を論ずる―正戦のモラル・リアリティ』駒村圭吾他訳,風行社より。 私たちはみな、戦争を論ずるべきであり、民主主義国家に生きる市民にとってそれは政治的責務(political obligation)にほかならない、この本で私が主張し…

W田君の卒論構想

土曜日にW田君の卒論の構想をちらっと聞いた。文学部英文学科に所属しているW田君は、元々ヘミングウェイや最近流行っているもので言えばポール・オースターなど、アメリカ文学を好んで読んでいたようで、卒論でもヘンリー・ミラーというアメリカ人作家の『…

話はソレルけど・・・

[rakuten:book:12132309:detail][rakuten:book:10436059:detail]カール・シュミット(1923)「現代議会主義の精神史的地位」長尾龍一編『カール・シュミット著作集』慈学社出版,53-118頁より。 ソレルにとって行動とヒロイズムへの資質、あらゆる世界史的活動…

今後の方針

土曜日の論文構想発表会で、「難民に関する先行研究が上手いこと集まらない」といったことを先生に言ったら、「岡野八代」「岡真理」あたりを読んでみると良いよと言われたのですが、さしあたり次のような文献のことを仰っていたのでしょうか?岡野八代(2003…

フーコーとハイエク

酒井隆史(2001)『自由論 現在性の系譜学』青土社から。 フーコーの議論には言うならば「行為の存在への圧縮・還元」という事態への嫌悪と抵抗が一貫しているように思う。存在の同一性へと行為をすべて放り込んでしまう「戸籍的権力」への抵抗。・・・・・・たとえ…

反動的批評家・東浩紀

『フリーターにとって自由とは何か』の著者、杉田俊介のブログ(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/)から、東浩紀の次のような記事を見つけた。「シンポに向けてのメモ」(http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html)「シンポに向けてのメモ2」…

「僕は皆さんとは立場が違うけれども、皆さんのような運動を否定するつもりはありません」

これは、僕がI水ゼミの合宿に初めて参加して、築城基地周辺の住民が中心となって行われている座り込み運動を見学した時に、その場で発言を求められて言った言葉です(昨日、U野先輩と飲みながら話をしていて思いだしました(笑))。この発言、今読むだけ…

「恥的思考」のはじまりはじまり

どうもはじめまして。この世界のどっかで大学生をやっているらしいFoucaultlianです(笑)。このブログでは、来るべき来年度の論文執筆に向けての「恥的思考」の軌跡を晒していきます。「恥的思考」というのは、それがこのブログに書かれる時点ではまだまだ…