W田君の卒論構想

土曜日にW田君の卒論の構想をちらっと聞いた。

文学部英文学科に所属しているW田君は、元々ヘミングウェイや最近流行っているもので言えばポール・オースターなど、アメリカ文学を好んで読んでいたようで、卒論でもヘンリー・ミラーというアメリカ人作家の『北回帰線』という小説を扱うらしい。ただし、話を聞く限りでは、また本人自身もそう言っていたように、単なる「文芸批評」というよりも「政治哲学」的なものを目指すというから中々面白い。

なんでも、ヘンリー・ミラーという人は、ヨーロッパ各国に点在するエスニックなコミュニティを転々としながら小説を書くという、日本で言えば山下清のような生活をしていたらしい(最も、こちらは画家なのだが)。そこで特徴的なのが、あるコミュニティで大分溶け込めてきたと思ったらそこを逃げるように去ってしまうミラーの行動なのだが、このような特徴はカフカの小説(何という題名だったかは忘れた(ボム))に出てくる、巣穴を掘ってちょっと安住してはまた天敵に恐怖に駆られて次の巣穴を掘り続けるモグラ(みたいな動物)の行動に共通して見られるものだとW田君は言う*1

つまり、ある特定のコミュニティ=巣穴に安住することを拒否するミラーとこのモグラは、双方とも「内/外」という二項対立図式の固定化から逃れようとしているのではないか、というわけだ。これは、W田君の好きなドゥルーズ=ガタリの言葉で言うところの「ノマド」とも関連しているような事柄だろう。

そして、このようなミラーの特徴が共同体無き後*2の現代において、「内/外」を再固定化しようと試みる偏狭なナショナリズムとは異なる主体のあり方、「内/外」の二項対立図式を脱構築することを可能にする「コスモポリタン」的な主体のあり方*3を示唆しているのではないか、これがW田君の主張の核心である。

まあ、口頭で聞いただけだし、まだまだ曖昧な輪郭の段階を出ないものだとは思うが、中々の「大風呂敷」ゆえに、どのようなものとして完成するのか、終局をどこで見るのかが楽しみだ。僕も頑張んないと^^;

*1:W田君によれば、ミラー自身もしばしばカフカに言及していたらしい。

*2:話をしていた時、「ここで言う『共同体』って何?」って尋ねたところ、W田君は「良く分からん」って言っていた(苦笑)。おそらく、彼の意図したいことは大方「大きな物語」「恒常性」の崩壊といったところだと思う。まあ、彼が書くのは人文科学の論文だから、社会科学の論文と同じ目で構想を切るべきではないだろう。ただし、杉田俊介さんのような文体は止めて欲しいというのが僕の切なる願いである(j2ボム)。

*3:W田君は「コスモポリタン」という言葉を使っていたが、多分この言葉はW田君の主張には相応しくないと思う。というのも、「コスモポリタン」と言うと、従来国民国家レベルで行われていたリベラル・デモクラシーを世界大に広げようとする試みのような印象があるから。おそらく、W田君の発想はネグリ=ハートの「マルチチュード」に近いのではないかと思う。