今後の方針

土曜日の論文構想発表会で、「難民に関する先行研究が上手いこと集まらない」といったことを先生に言ったら、「岡野八代」「岡真理」あたりを読んでみると良いよと言われたのですが、さしあたり次のような文献のことを仰っていたのでしょうか?

岡野八代(2003)『シティズンシップの政治学 国民・国家主義批判フェミニズム的転回叢書』白澤社
岡真理(2000)『彼女の「正しい」名前とは何か 第三世界フェミニズムの思想』青土社
岡真理(2006)『棗椰子の木陰で 第三世界フェミニズムと文学の力』青土社

岡野八代については去年受けてた国際政治の授業の中でリベラリズム国民国家を批判する論者として取り上げられていたので難民問題との関連が何となく分かるのですが、岡真理についてはアマゾンのレビューを見る限りだと大分難民問題との関わりが「間接的」であるような・・・(ボム)。

まあ、とりあえずはさしあたりの作業として読んでみるつもりです。


土曜日聞かれた時はあまりうまく言えなかったんですけど、やはり今年度の僕の問題意識は、従来アレントフーコーアガンベンといった哲学者の議論を援用しながら国民国家批判の文脈の下でのみ語られてきた「難民」という概念を、昨年度の論文で示した生-権力解釈を用いることでより広い視点から、「難民」という形象を「非-国民」に矮小化しないような視点から捉えなおしたいという感じなんですよね。ネグリ=ハートが指摘するように、〈帝国〉的主権に差異を排除するのではなく、むしろそれらを包摂・配置し、管理の戦略に組み込んで行こうとする側面があるとするなら、また、土佐弘之が指摘するように、ポストモダン的帝国においてネオリベラリズムの放縦に生存を脅かされる人々の究極的形象が、国境を越えて移動することを余儀なくされている「難民」たちであるとするならば、やはり国民国家批判の文脈でばかり難民の議論を浪費することは意味がないどころか有害であるとまで言えるでしょうから。渋谷望風に言えば、「負けたことに気付かない哀れな敗北者」みたいな感じでしょうか。

まあ、当面の間は上記の事柄を念頭に置きつつ本を読み進めると同時に、既に読んである文献の整理(重要箇所の抜き出しと整理)をやっていくことになるでしょうか。4・5月は就職活動やらGWやらで落ち着いて作業を進めることができなかったので、6月からはじっくり腰を据えて頑張っていかないとですね^^;