土佐弘之(2006)『アナーキカル・ガヴァナンス 批判的国際関係論の新展開』御茶の水書房

アナーキカル・ガヴァナンス―批判的国際関係論の新展開

アナーキカル・ガヴァナンス―批判的国際関係論の新展開

「現実の壁」を補強するイデオロギーとしての現実主義を乗りこえるためには、時には系譜学的接近や脱構築的手法を採りながら、見る角度を変え、権力作用によって見えにくくなっている〈現実〉を照らしだしていかなければならない。それは、社会運動論的な文脈で言われる、フレーミング抗争における新たな枠組の構築過程(問題発見から従来の認識の枠組の見直し)でもある。その再構築のためには、やや回りくどいようであるが、認識枠組みの問い直しや思想的契機が必要にとなってくる。・・・・・・もちろん、批判的思惟の運動の対抗的力は微々たるものであるが、危機という好機を捉えることができれば、現状肯定的な認識枠組みからの転換を促すこともできよう。たぶん、他者を否定・排除するメタ政治の構造的力とそれを脱構築する批判的思惟との関係は、地獄へと絶えず落ちていく巨大な石とそれを押し上げようとするシシュフォス(Sisyphos)の関係に近いのだろう。そうした絶望一歩手前の在処を、此の本によって少しでも示すことができえたとすれば望外の幸せである*1


フーコーの後で 統治性・セキュリティ・闘争』*2にも論文を寄稿していた土佐弘之の政治論集。

本書の題名にもなっている「アナーキカル・ガヴァナンス」とは、へドリー・ブルの提唱した「アナーキカル・ソサエティ*3と冷戦終結後に盛んに口にされるようになった「グローバル・ガヴァナンス」とを合わせた土佐の造語であるが、それは国民国家体制が全世界を覆い尽くしたかのように見える現状において、戦争を内部化し「法の外」を形成していくような統治技術が、統治の主体が国民国家以外の国際機構や地域機構、NGOなどに分散する形で現れて来ているのではないかという土佐の主張を含意するものである。このような問題意識は、生-権力の「殺す権力」への変容を、人種主義や優生学といった言説との連関の中で戦争を社会に内部化していったプロセスに投影するフーコーの議論の延長線上にあると土佐は言う。

上記のような問題意識を踏まえた上でまず1部では、ネオリベラリズムのグローバルな放縦によって生じる二極化において下位に押し込められる地域を「野蛮な他者」として権威主義体制の下で統治し、それも機能しなくなった場合には「正戦論」に支えられた「人道的介入」を実行するという形で「法の外」を生み出しながら世界を管理していこうとする「ポスト近代的帝国システム」の相貌を描き出している。

続く2部では、上記ような「法の外」の形成に対して疑義を申し立てる倫理的諸言説が、「文明的な我々」と「野蛮な奴ら」という二分法を内包するがゆえに、逆に「ポスト近代的帝国システム」の統治技術を支えてしまっている現状を指摘している。フーコーが「人間の終焉」を唱えたように、現代の統治技術がヒューマニズムも織り込み済みである以上は、「人道」を無垢に強調するだけではどうしようもないということだ*4

本書の鋭さは、アメリカ帝国論とネグリ=ハートの〈帝国〉論の双方を組み合わせた枠組み設定にあるだろう。つまり、アメリカ帝国が強大な軍事力を保持するがゆえに生じる経済力の低下を、多国籍企業の後押しを受けてのさらなる軍事力増強によって隠蔽しようとする「循環的なメカニズム」と、ネオリベラリズムのグローバルな放縦による脱領域的権力の出現により生じる矛盾をアメリカ帝国の軍事力を持って解決しようとする「補完的なメカニズム」の二つのメカニズムの中で両者の「帝国」を関係づけることができるということである。本書の中で、ネグリ=ハートがヨーロッパ的帝国主義の所産と位置づける「植民地主義弁証法」が「ポスト近代的帝国システム」において重要な役割を果たしているとして強調されるのも上記のような分析枠組みの設定を反映したものであろう*5

ただし、土佐自身がネオリベラリズムとの連関の中で「我々」と「奴ら」の二分法は新たな形態の下で出現しいていると指摘するように、従来の「植民地主義弁証法」とイコールで結ぶことができないということには注意しておく必要があるだろう。恐らく「我々」と「奴ら」の境界線は極めて不分明化しているはずだし、その境界線は国民国家のそれと必ずしも一致しないはずである*6

政治論集ということで論旨が見えづらく物足りなさは感じたが、その点は土佐のもう一つの著作、『安全保障という逆説』*7を読むことで補おうと思う。

*1:本書225-228頁。

*2:土佐弘之(2007)「グローバルな統治性」芹沢一也・高桑和巳編『フーコーの後で 統治性・セキュリティ・闘争』慶應義塾大学出版会,119-153頁参照。

*3:土佐によれば、へドリー・ブル(2000)『国際社会論:アナーキカル・ソサエティ臼杵英一訳,岩波書店という本で提唱されたらしい。

*4:ミシェル・フーコー(1974)『言葉と物―人文科学の考古学―』渡辺一民佐々木明訳,新潮社参照。

*5:アントニオ・ネグリマイケル・ハート『〈帝国〉 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』水嶋一憲他訳,以文社,156-182頁参照。

*6:たとえば、日本国内においても経済格差が広がる中で「我々」と「奴ら」の分断が生起していることを思い浮かべて欲しい。

*7:土佐弘之(2003)『安全保障という逆説』青土社