堤未果(2008)『ルポ貧困大国アメリカ』岩波書店

そこ(市場原理の実態)に浮かび上がってくるのは、国境、人種、宗教、性別、年齢などあらゆるカテゴリーを超えて世界を二極化している格差構造と、それをむしろ糧として回り続けるマーケットの存在、私たちが今まで持っていた、国家単位の世界観を根底からひっくり返さなければ、いつのまにか一方的に呑み込まれていきかねない程の恐ろしい暴走型市場原理システムだ。そこでは「弱者」が食いものにされ、人間らしく生きるための生存権を奪われた挙げ句、使い捨てにされていく。/それは日本国憲法第25条でいう、すべての国民が健康で文化的な最低限度の暮らしを営める権利を侵されることだ*1


IZUMIさんの紹介で読んだ新書。因みに、僕は具体的な事象を扱ったルポルタージュのような本を読むのが苦手なので(というのも、途中で飽きてきてしまうのです(ボム))、こういった形で良書を紹介して頂けるのはありがたい限りである。

本書は、規制緩和と民営化を軸とするネオリベラリズムという「地獄」*2に向かってひた走る日本にとって、その未来を写す「鏡」たるアメリカの現状を当事者の声も織り交ぜて描いたルポルタージュである。そこでは、規制緩和と民営化による市場原理の放縦により貧困層に転落したアメリカ国民やグローバルな経済自由化にともなって合衆国に流入した移民の食や医療を商品化することで彼らを食いものにし、骨の髄まで貪り尽くした上で、そのような貧困からの脱出をちらつかせながら戦場に送り込むという恐ろしい搾取の構造が臨場感をもって描き出されている。

先日書評を書いた『アナーキカル・ガヴァナンス』では、ネオリベラリズムの排除項たる周辺地域を管理する究極的手段として戦争が位置づけられていたが、本書を読んでそれは先進国におけるネオリベラリズムの排除項たる貧困層にとっても同様であるように感じた*3。「人道的介入」の受動者と能動者、両者はとても遠い関係にあるように見えて、実はどちらもネオリベラリズムの排除項であるという皮肉。

「難民」と言えば普通は前者のみを想定するかも知れない。しかしながら、上記のような地平に立った時、果たして後者の戦場に送り込まれた兵士たちを「難民」と呼ばない理由はあるだろうか。兵士たちには確かにアメリカ市民権はあるかも知れない。けれども、生-権力を構成するあらゆるアクターから見放され、死に手放されているという点では兵士も周辺地域の人々も同じではないだろうか。

本書は、上記の通りルポを読むのが苦手な僕でも飽きを感じることなく一気に読みきってしまった。そのくらい当事者たちの切実さとやりきれなさ、怒りが伝わってくる、価値ある一冊であると思う。

*1:本書9-10頁,括弧内引用者。

*2:そういえば、「地獄への道は善意で敷き詰められている」とかいう言葉をレーニンが言っていたような。

*3:http://d.hatena.ne.jp/Foucaultlian/20080331/1206951796参照。