ミシェル・フーコー(2007)『社会は防衛しなければならない』石田英敬訳,筑摩書房

人種差別主義、それは文字通り、革命の言説ではありますが、逆向きの革命的言説なのです。あるいは次のように言えるかもしれません。複数の人種(=民族)の言説、闘争状態にある複数の人種(=民族)の言説が、ローマ的な主権の歴史的政治的言説に対抗して用いられた武器であったとすれば、単数の人種の(単数形の人種)言説は、この武器の向きを変える手管であって、その武器の刃を国家の保存された主権のために用いる方法であったのだ、と。法から規範へ、法的なるものから生物学的なるものへの移転と引き替えに、人種の複数形から人種の単数形への移行と引き替えに、解放の企てから純粋性への関心への変化を引き替えにして、国家の主権は人種(=民族)間闘争の言説の役目を与え、自分の目的に再利用し、自らの戦略の中に再活用したのです。闘争と解読と要求と約束の旧い言説から派生した革命への呼びかけに対して、それを堰止め、それに代わるものとして、国家の主権はこの言説を人種保護の至上命令へと変化させたのです*1

久しぶりのフーコー(笑)。本書はコレージュ・ド・フランスにおけるフーコーの1975-1976年度講義を収録したもので、最近になってフランスで編集・出版され、日本においても昨年ようやく翻訳される運びとなった。最終講義では、生-権力が「死の中へ廃棄する」権力へと転換する契機が人種主義の導入であったことについても触れられており、先行研究が生-権力の人々を死に追いやる側面を論じる際に、「国民/非-国民」「(社会にとって)必要/不要」といった二項対立をともなわせる論拠ともなっている(この点については後に言及するが)。

本書の冒頭でフーコーは、それまで数年間にわたって講義で扱ってきたテーマが「従属化された知」を顕在化し、既存の学問体系に対して闘争を仕掛けるための「系譜学」的な試みであったことを確認する*2。そして、本年度はその総括として、それらの闘争で賭けられているものとしての権力の探求(「権力とは何か?」という問いの探求)を試みる予定であることを明かしている 。そのような問題意識を念頭に置いたとき、探求の鍵となるものが権力によって服従させられた主体を前提として議論を展開する主権論ではなく、そのような主体がどのような力関係、諸々の装置のネットワーク、メカニズムの下で形成されるのかを問題化できる「戦争の言説」に他ならないということが明らかになるわけだ。

フーコーはこの歴史言説としての「戦争の言説」を考察するに当たって、イギリス、フランスの2つの例を挙げている。

イギリスにおいては、イギリスはノルマン人が征服した植民地であるから、植民地に対するあらゆる要求は無限に認められるという形で王政側は絶対主義を正当化してきた。一方、反王政側は、ウィリアム王(征服当時のノルマン人の王)による王朝成立は、ザクセン人(ノルマン・コンクェスト以前にイギリスを支配していた民族)の王朝を正当な形で継承したに過ぎないものであるから、国王はザクセン王朝の法律や慣習に従わなければならないという形で専制に対抗した。

また、フランスにおいては、4世紀末にローマ帝国内に侵入し、フランク王国を打ち立てたゲルマン人(フランク人)とローマ帝国時代から居住していたガリア人との差異を、共通な祖先としてのトロイア人と見出すことで均質なものに還元し、それによって王政側は官僚主義的な専制を正当化していた。一方、ブーランヴィリエを始めとするフランス貴族たちは、本来戦士貴族階級からなるゲルマン封建体制においては王は極めて限定的な権限しか保持していなかったが、ガリア征服後、ローマ帝国において官僚的な位置を占めていたガリア人と王が癒着をすることで支配体制からゲルマン貴族を追い出したのだとして、王と官僚の癒着を痛烈に批判した。

いずれにせよ、人種=民族という観点から征服=戦争の記憶を掘り返し、既存権力の正当性を揺るがすのが「戦争の言説」であり、それは極めて対抗的な歴史言説であったというわけである。ここにおいて、クラウセヴィッツの有名な言葉を転倒させた、「政治とは他の手段によって継続された戦争である」というフレーズの真の意味が明らかになる。

しかしながら、このように極めて対抗的であった「戦争の言説」も、フランス革命とともに牙を抜かれ、飼い慣らされることになる。フーコーによれば、その契機は三身分制における第三身分であるブルジョワジーの台頭であったという。すなわち、彼らは、ブーランヴィリエによって提示された民族という概念を「法=立法府」、「労働」、「職能」からなるものであると解釈し、「法=立法府」によって絶対君主を、「労働」「職能」によって貴族を民族から排除することによって、「戦争の言説」に基づくあらゆる闘争を法的、経済的なものに還元していったということだ。ここにおいて、ブルジョワという民族は国家に全体化することになり、いわゆる国民国家が誕生する。この均質空間を保持せんとして、19世紀欧州においてしきりに叫ばれたフレーズこそ、本書の題名ともなっている「社会は防衛しなければならない」である。

このように、「戦争の言説」の牙が抜かれ、民族が国家に対して全体化することによって、もはや消滅したかに見えた人種=民族概念であったが、それがナチズムやスターリニズムに典型な国家人種主義として回帰して来たことは周知の通りである。フーコーは、この回帰の端緒となったものこそ、近代以降、人々の生を射程に捉え、それを増強することを目標としてきた生-権力であったと指摘する。つまり、人種主義が回帰し、人々の生に「区切り」を入れることができるようになって初めて、生-権力は人々を「死ぬに任せる」*3 ことができるようになったということだ。

以上見てきたとおり、既存権力に対する対抗言説として登場した「戦争の言説」と人種=民族概念は、最終的には既存権力によってコード化されていくこととなった。その意味で、フーコーが「言説の戦略的多義性」といったことの意味が本書には如実に現れていると言えるだろう。

さて、冒頭で述べたとおり、生-権力の「死の中へ廃棄する」作用を人種主義のような二項対立との結びつきの中で考える先行研究は、本書の議論を論拠にしている。しかしながら、ここまで本書の議論を見てきたことからも分かるように、生-権力と人種主義との結びつきはあくまでも歴史的な経緯としてのものでしかない。つまり、歴史的経緯としては、近代に「生きさせる」権力として登場した生-権力は人種主義と結びつくことによって「死の中へ廃棄する」権力と化し、その最たるものとしてのナチズムやスターリニズムのような惨劇が繰り広げられたけれども、そのような生-権力と人種主義との結びつきは未来永劫のものであるわけではない、ということだ*4。むしろ、我々は現代において人種主義のような二項対立図式に流し込めない排除のあり方を目の当たりにしているではないか(独居老人然り。長時間労働者然り。ネットカフェ難民然り)*5 。その意味でも、フーコーを読む者としては、人種主義とは一線を画す、生-権力概念が内包するさらなるポテンシャルを引き出す思考を提示しなければならないのではないかと感じている

*1:本書83頁。

*2:1971-1975年に行われた4つの講義の題目は次の通り。『刑罰理論と制度』(1971-1972)、『懲罰社会』(1972-1973)、『精神医学の権力』(1973-1974)、『異常者たち』(1974-1975)。題目から分かるように、この時期のフーコーは『監獄の誕生』において詳細に論じられることになる「規律・訓練」という観点から、「従属化された知」の顕在化を試みていたと言える。

*3:『知への意志』においては「死の中へ廃棄する(rejeter dans la mort)」というフレーズが使われていたが、本書ではこの言葉が使われていた。原著ではどのように書かれているのか調べようとしたが、大学の図書館には本書の原著がないという(苦笑)。

*4:実際、フーコー自身も次のように述べて、生-権力と人種主義とのつながりが必然的なものではないことを主張している。「人種主義を経由せずして、どのようにして生権力を機能させ、同時に戦争の諸権利、殺人と死の機能の諸権利を行使することができるか?これこそが問題だったのであり、これはつねに問題になっていると思います」(本書261頁)。

*5:因みに、これらの事例は冒頭で示した「(社会にとって)必要/不必要」という図式には流し込めそうな気がするが(そして、こういう図式を用いた生-権力の引用は結構多いが)、このような、何も言っていないに等しいくらい曖昧な二項対立図式でもって生-権力を語ることにどのような意味があるのか、僕には甚だ疑問である。