森政稔(2008)『変貌する民主主義』ちくま新書

変貌する民主主義 (ちくま新書)

変貌する民主主義 (ちくま新書)

本書では現代の一見退屈に見える民主主義の実際の背後に、じつはそれを変える思想の次元で大きな変化があり、いつのまにか民主主義の思想的前提のうち、かなりのものが入れ替わったことを示そうとしてきた。民主主義思想は、反民主主義に対する闘争という面を決して失ったわけではないとしても、重点が変化し、民主主義を受け入れる多様な人々のあいだの複雑な共存ルールへとしだいに変化してきている、というのが本書の見方である。社会は複雑化し、紛争は多発し、状況は見通しがたく、このような変化が人類に幸福をもたらすかどうか、一概にいえないが、このような変化をなかったものとして後戻りすることはできないという意味では、この過程は不可逆的な進化といえるだろう*1


東大総文の森政稔の著作。あんまり著作が多い人ではないらしく、正直詳しい素性は知らない(ボム)。

本書は1960〜1970年代にかけての全世界的な反権威主義的抵抗運動をメルクマールと定めて、民主主義やその背景にある社会的、経済的、文化的背景がどのように変貌しつつあるのかを、自由主義と民主主義の関係、多数と差異の問題、ナショナリズムポピュリズム、主体性の問題、という4つの視点から分析するものである。

まず第一章では、レッセフェール自由主義の結果としての悲惨な状況に対処するために登場した社会民主主義が1960〜1970年代の反権威主義的な運動と新自由主義との双方から攻撃を受けて衰退するまでの自由主義と民主主義との関係を素描し、そのようにして台頭した新自由主義が哲学的根拠としたハイエクの思想がたんに市場経済を主張するだけでなく、「法の一般性」原理に基づく市場の自生的秩序という、首尾一貫した秩序の思考を内包していることを指摘した上で、さらにそのハイエクの思考に対しても批判的な分析を加えている。続く第二章では、近代の国民国家体制が「国民」というフィクションを想像することによって圧殺してきた差異やアイデンティティの多様性が冷戦崩壊とともに表面化しつつある現状を指摘した上で、そのようなアイデンティティの政治、差異の政治が陥りがちな本質主義的思考について検討を加えている。第三章では、グローバル化の進展にともなって左右双方ともでナショナリズム的主張が強まっている現状を念頭に置きながら民主主義がナショナリズムやその結果としての戦争と歴史的に親密な関係を結んで来た経緯を検討した上で、現在のナショナリズムの高揚に多大な影響を与えているポピュリズムが政治を単なるゲームと捉えるシニカルな立場と単純な善悪二元論を構築することで悪をたたき続けることを志向するモラリズム的な立場との奇妙な相互作用の中で増幅されている図式を描いている。最後に第四書では、近代国民国家体制の下で自明のものと思われていた主体性を前提とする民主主義論がグローバル化が進展する現代においてはもはや十分に政治的な責任概念を構築し得るものではなくなっていることを指摘した上で、新自由主義的風潮の中で登場してきたガヴァナンス論に基づくアカウンタビリティ的思考の利点と限界を批判的に検討し、本書を締めくくっている。

本書の特徴を挙げるとするならば、1960年代前後の反権威主義的運動をメルクマールとして現代の民主主義を分析しようとするその主題のレアさがあるだろう。1960年代の運動の重要性は他のあまたの著作の中で指摘されておりもはや多言を要しないが、その重要性を民主主義論と結び付けて論じるものは国内では管見の限り、あまり見受けられない。また、本書は結論を一つに収斂させるのではなく、現代における民主主義が内包するさまざまな問題点を読者に投げかけるような構成になっているため、現代の民主主義そのものやその背景としての諸条件の変容を検討する上でのとっかかりとして有用であろう。

ただし、そのように手広くテーマを扱っているせいか、議論がかなり雑になっている部分が見受けられる。特に第四章については、「自己への不安」といった時の「自己」という言葉が個々人とそれ以外の法人の双方に対して用いられたり、アカウンタビリティ的思考を免れている存在としての「国家」のさす内容が不明確(「日本」といった漠然としたイメージを指しているか、具体的な統治機構まで含めるのか。もし後者であれば、アカウンタビリティ的思考を免れているという著者の分析には甚だ疑問が残るし、そうである以上「自己への不安」の拠り所となり得るはずがない。前者であるとしても、もう少し詳細な説明がなければ説得力は薄い)であったりと、手抜き工事のような議論が展開されている。その意味で、本書を読解するに当たっては他の著作(たとえば、仲正昌樹NHKブックスから出している『集中講義!日本の現代思想』『集中講義!アメリ現代思想』など)で補足するなどの注意深さが必要かも知れない。

*1:本書261頁。