金子勝(1999)『市場』岩波書店

市場 (思考のフロンティア)

市場 (思考のフロンティア)

実は、市場の暴走は、人々の生活のもっと奥深いところにまで入り込み、人間のあり方さえ変えてしまっているのではないか。人々は、それを反転させる力さえ奪われかけているのではないか。筆者が「市場」を論じる際に、最初に「近代的人間の分裂」という問題を立てて、市場理論や批判理論の中に、論理の裂け目を生み出す「強い個人」を見つけ出そうとしたのも、こうした問題意識が基底にある*1

ネオリベの温床(笑)、慶應経済において「異彩」を放っている金子勝の著作。岩波書店から出ている「思考のフロンティア」シリーズの中でも初期の作品である(したがって、今更ながらという感じもあるのだが^^;)。

本書は、「自立性」と「共同性」に引き裂かれた近代的人間が孕む矛盾に真正面から取り組むことにより、「自立性」と「共同性」をゼロサム的な関係の下で捉えてきた従来の市場理論とは異なる、両者の相補性という視点から市場を捉えなおす視座を提供することを目的としている。

1部では、理論の出発点における人間像に強い負荷をかける「強い個人」とそうでない「弱い個人」という二分法を軸に据えて、丸山真男大塚久雄新古典派経済学、スミス、ハイエクといった理論家を分析する中で、いずれの論者もその理論に「強い個人」が内在するために、「自立性」と「共同性」をゼロサム的な関係にあるものと捉えて現実から乖離してしまっていることを指摘する。

その上で2部では、イギリスにおける階級の生起と宗教との関係や日本の企業社会、市場の匿名性、本源的生産要素の所有といったトピックの検討を通じて、「自立性」と「共同性」が相補的な関係にあること、そのような相補性が担保されることが市場の安定化の必須条件であると指摘し、「強い個人」が内在するために「自立性」か「共同性」のどちらか一方に偏ってしまう従来の市場理論に代わって、「弱い個人」を出発点とし、近代的人間の分裂を真正面から取り組むような理論の必要性を主張している。

本書の斬新さ、鋭さは、「自立性」と「共同性」という近代的人間の分裂という視点から市場理論を再検討している点だろう(ただし、経済学に無知な僕には、その斬新さの半分も理解できていないのだろうが(ボム))。自然法思想を「フィクション」と言って斥ける某憲法学教授は、ハイエクの市場理論にもまた、「絶えず知識を求めて競争する人間=強い個人」という「フィクション」が内在しているという金子の指摘にどのように応答するのだろうか(苦笑)。

ただ、本書の最後で提示されていた、「共同性」を切り裂くグローバリズムに対する対抗戦略が、果たして「弱い個人」を前提とするものであるかどうかはいささか疑問が残った。下位のコミュニティーにおけるセーフティーネットの構築や政府・市場における公共圏の構築が、「弱い個人」にできるほど容易なことであるようには思えない(もっとも、これらの提言についてより詳しい記述があるという、金子勝(1999)『反グローバリズム―市場改革の戦略的思考』岩波書店を読まないことにはこれ以上のことは言えないのだが*2)。

後、本書は100頁程度という紙面の都合上か、説明なく経済学の専門用語が使われることが多く、経済学に無知な僕にはやや理解しにくい部分があった。「思考のフロンティア」の後期では200頁を超える「大著」が執筆されていることを考えると、もう少し丁寧な説明があっても良かったのかなぁと思う。

*1:本書111頁。

*2:本書102-104頁参照。