死生観の転換から生-権力へ(2007/10/05)

臨床医学の誕生』を読んでみて、分かったことを書いてみます(全部読んだわけじゃないですよ^^;関係がありそうな「序」と第八章の「屍体解剖」というところだけ読みました)。

いきなりですが、ちょっと引用を。

「人類の恐怖とともに、同じ太古から存在した一つの傾向が、医師たちの眼を病の除去へ、治癒へ、生命へと向けてきた。問題はただ生命を回復させるということでしかありえなかった。死は医師の背後にとどまり、その大いなる暗い脅威のもとでは、医師の知識も技倆も消滅するはずであった。死は単に生と病に対する危険であるばかりでなく、それらに問いかける知識に対する危険でもあった。ところがビシャに至ると、医学的なまなざしは自らを軸として廻転し、生と病についての説明を死に求め、生と死との時間と動きについて死の決定的静止の中に説明を求める。」(ミッシェル・フーコー/神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』みすず書房,1969年,201-202頁)

ここでフーコーは、病の除去と治癒、そして生命の快復のみにまなざしを集中させ、死を自らの知識に対する「危険」として退けつづけてきた古代以来の医学が、ビシャと病理解剖学の登場にともなって死という地点から生や病を逆照射して分析するものへと変容したと述べています。つまり、十九世紀の、「生-権力」の知として機能する医学が、死を出発点として生やそれにともなう病を理解しようとするものであったというわけです。

さらに、そのような医学の死の捉え方についてフーコーは以下のように言及します。

「ビシャは死の概念を相対化し、それが分割不能の、決定的な、快復不可能な事件のようにみえていた絶対的な地位から、これを失墜させた。彼は死を気化させ、こまかな死、部分的な死、進行的な死、死そのもののかなたでやっと終結するようなゆっくりした死、などという形で死を生の中に配分したのである。しかしまさにこのことによって、医学的思考と医学的知覚の、或る根本的な構造を彼はつくりあげた。すなわちこの構造は、生がそれに対立するものであり、それに身をさらしているものである。またその構造に対して、生は生ける対立であるがゆえに生命なのである。さらに、その構造に対して、生は分析的に身をさらしているが故に、生は真実なものなのである。」(前掲,199-200頁)

ここでフーコーは、ビシャが死の概念を相対化したことによって、古代以来の「生か死か」といった二元論的な捉え方が斥けられ、代わって死というものが、生の中に分散的に配分され、生を徐々に蝕むようにしてゆっくり進行するプロセスとして捉えられるようになったと述べます。つまり生と死の関係は、明確に分断されるものではなく、どこからが生でどこからが死か良く分からないような、いわばつながったような状態として考えられるようになったというのです。

そして、それゆえに生は死に対立・抵抗し、常に死にさらされるものとして捉えられるようになったと引用文の後半部分で指摘をするわけです。

以上をまとめると以下のようになります。

①一九世紀の医学は死を出発点として生や病を捉えるようになった。
②①のような捉え方の下、生と死の関係が「つながったもの」として解されるようになり、従来の二元論的理解が斥けられた。
③②のような考え方によって、生が常に死に瀕しながらも死に対立・抵抗するものとして捉えられるようになった。このことは、人間という存在が可死的であると考えられるようになったことに他ならない。

これらの事柄は、以前にも引用した市野川さんの言及を強力に後押しすることでしょう。

「これに対して、生-権力はまさに『死』を出発点とする。生-権力が前提としているのは、人間が可死的であるということ、配慮を怠ればいつでも死に至るという潜在的可能性である。・・・・・・生-権力もまた人を殺す。だが、それはいかに作為的であったとしても、基本的には不作為として現象する。つまり、生命を死という重力に委ねる、あるいはしという開始点へ投げ返す(re-jeter=廃棄する)というかたちで殺害は実行されるのだ。」(市野川容孝『身体/生命』岩波書店,2000年,57頁)


まあ、以上の作業は全て市野川さんが『身体/生命』で若干引用していた『臨床医学の誕生』を使って、彼の論の根拠付けをより丁寧にやったってだけの話なんですけどね^^;

僕が問題にしたいのはその先です。つまり、前にも述べたとおり「廃棄する」と「投げ返す」とでは言葉の意味が全く違うのに、どうして市野川さんを含めた多くの論者がこの訳を疑問視し、批判しようとしないのかということです。

したがって、論文の目標としては「『廃棄する』と『投げ返す』の訳の違いを浮き立たせることで、つまり、それらの間には明らかな差異があり、前者が訳として妥当しないということを示すことで、それまで見落とされていた新たな視点を『生-権力』という概念に導入すること」ということになるでしょう。